根拠のない「大丈夫」をもとう
長野県でじゅくをしていた際。見守り猫だった「つくしくん」です。
根拠がなくてもいいんです。
「自分は大丈夫」「自分はよくやってる」
こう自分に言い聞かせられる人間は強いです。もちろん、自分自身の行動への客観的なチェックは必要がありますが、「自分自身への無条件の自信」はだいじ。
親目線だと「子どもへの無条件の信頼・見守り」というものが大きな力をもちます。
私は現在38歳(2025年現在)です。
過去をふりかえると、大学卒業後はサービス業界に携わる側らこの「教える仕事」を続けてきました。オンライン家庭教師業を始めたあと、他の先生方のサポートや、オンラインイベントの企画運営に携わりました。
ここまで聞くと、わたしという人間は、ある程度コミュニケーション力、交渉力、外交力、企画力、精神力(鈍感力?)。そして今はある程度自信があるように感じますね。
しかし。昔からこういった社会性や自信があったかというと全くそうではありません。
学生時代から20代までの私はというと、人の気持ちを察することができない、空気がまったく読めない人間でした。
もっと若いころ、何度も人間関係でうまくいかないことがありました。悔しくて、辛くて、どうしてわたしは人とうまくいかないんだろうと思い悩みました。
とくに小学校後半から中学時代ですね。振り返れば、少しうつ状態だったかもしれません。表情から笑顔はなくなり、部活の中で孤立したり、クラス内政治でのうまく立ちまわれなかったり、陰口を言われたり、嫌がらせを受けたり。どうして、みんなは自分は受け入れられないんだろう?まるで自分を否定されたかのような気持ちでした。中学校2年生のときは一時期保健室登校をしており、当時神戸に下宿していた姉の家にも転がり込んでいたそうです。
勉強や進路を進めていく過程の中で、不安を煽られ、自信を失う場面はたくさんでてきます。お子さんだけでなく、親御さんも幾度となくそういった場面に出くわすと思います。
私は親の存在に感謝しています。
私自身が自分がぐらついている間も、両親は圧倒的に私の味方になっているという安心感がありました。「大丈夫、おまえは間違ってないぞ」
ただ、私は30代になってからある日「おまえが中学生の時、姉の家の近くの神戸の学校に転校させるか考えていた」と言われました。へ!?と。
親も親で。私がどんどん塞ぎ込んでいくこと、学校に通えなくなっていくことに不安だったんだと思います。どこか新しい環境へいかせたら、この子は明るくなるんじゃないか。そう思っていたそうです。親も不安だったんだな、それを私の前では隠すつらさもあったんだなと後から知りました。
私は子どもがいないので、親の気持ちはわからないのですが、つまり完璧な親でなくてもいいんだと思います。
ただ、子どもの前では。ハッタリでもいいのです。「ぜんぜんこっちは揺らいでませんよ。お前はきっと大丈夫だと思ってますよ」と見せること。内心ドキドキ・不安でも、どっしり構えているフリをすること。なんとなく、私もそういった講師像を目指している節もあります。そうすると、子どもも自然と「自分は大丈夫だ!」となぜか自信をもってくれたりします。
一方で、親御さんが自分の中に不安を溜め込むのはよくありません。
そこで私の出番なのです。かならずどこかでそれを不安を出し切ったり、逃げ場所を作っておく必要があります。そのお手伝いをさせてほしいのです。弱みを見せるのはヨシとされない世の中ですが、それをしっかり出し切ることが、ご自身の精神安定、ないしは家庭内の安定につながると私は信じています。
みなみ